ぼくは厄介な転校生(その2)・・・勉強ができる子を演じれば、勉強ができるようになる
小学一年生の時、初めての通信簿に「理屈が先立つ」と評価された私は、そもそも勉強はできない方ではなかった、と言うより同級生より必要か不必要かは明確では無いが、知っていることが多かったのだと思われる。その理由は父の書棚に並んでいた本を盗み読みする習慣や母が買い与えたディアゴスティーニ的な毎月届く科学の月刊誌(名称等は忘れた、今でも記憶に残っているのは各国のロケットの比較くらいかな)を眺めることが、たまーにあったからかもしれない。さらに、親の前ではあまりにも本を読まない私を心配した母が買い与えた「まんが日本の歴史」をぼちぼち読んでいたことも私の学習方法に大きな影響を与えていたようだ。
世田谷区の区立中学に転校してきて驚いたことがあった。以前通っていた中学より授業の進み具合が若干遅かったのである。現在進行形で進んでいる授業と私の知っていること(知識と呼べるほどのもんじゃないけど)に時差があったのである。そうなると授業中は暇だから、ついつい教科書の先をどんどん読み進めてしまう。となると、授業中に先生が質問したことについて、真っ先に手を挙げて正解を返答することが可能となる。授業中に各々の科目を先取りすることによって、「今度の転校生って勉強できるね」的な評価がクラスメイトの間に広がり、当然の如く教師も「桑満=勉強できる子」と判断する流れが出来上がった。
そもそも理屈が先立つ私としては、「勉強のできる子を演じる」ことは、最終的に「勉強ができる子になれる」との結論に至った。授業中に教科書の先を勝手にどんどん読み進むことによって、授業が復習となり、今で言うなら、めちゃくちゃタイパが良いことになる。
余所者であり、勉強が少々できてアイビールックを意識したちょいとおしゃれな奴が、理屈では本来は何も優位性がない世田谷生まれの世田谷育ちの不良系先住者の目につかない訳がないのは今も昔も変わらない普遍の法則。当然の如く不良系の複数グループに絡まれるのは火を見るよりも明らかであった(そのあたりのことを「まんが日本の歴史」からはなーんも学んでいなかったんだけどね)。
窮地に追い込まれた私が用いた処世術(中学生で処世術とか言っている奴は気持ち悪いけど、中学生の私は中学生なりになんとか世の中を渡っていく手段を考えた)は、対立する不良グループのパワーバランスを崩すことであった。当時はこの判断がK士舘中学と一悶着を起こすことなど、思いもしなかったが・・・。
次回に続く。