医療機関はもちろん、どのような業種の方でも、「今日は暇だなあ」と言った途端に忙しくなることを経験しているのではないでしょうか?これはたまたま、思い込み、ジンクスであるのか、あるいは原因と結果であるのかを検証しつつ、大切な人生ですから偶然に惑わされない選択をしていただきたいと思います。
本記事の内容
救急外来で、「今日は暇だなあ」とつぶやくと次から次と患者さんが搬送されてくる?
科学的であるように考えられている医療、しかし数々のジンクスや迷信が蔓延っています。例えば、救急外来において先輩医師が、「今日は暇だね」「今夜は静かだね」と呟いてしまうと、急に受診者がどんどこ搬送されてくる、という迷信なのか格言なのかジンクスがあります。
果たしてそれは迷信なのか、本当にそのような関連があるのかを調べた日本人研究者がいます。
「Impact of Attending Physicians’ Comments on Residents’ Workloads in the Emergency Department: Results from Two J(^o^)PAN Randomized Controlled Trials」(PMID: 27936189)という論文があります。
救急外来に勤務する研修医に対して、指導医が「静かな一日を過ごしましょう」と声がけすることが逆に研修医に負担を与える、つまり救急外来が多忙になるのではないか否かを調べたものです。
結果的には指導医から「安寧な1日をね」的な言葉をかけられたグループと掛けられなかったグループで違いは出ませんでした・・・当然といえば当然だけどね。
医療における些細なジンクスは日本だけではなく海外でも信じられているようで、似たような研究が論文になっています。
「静かな」という言葉を発すると急に忙しくなる???
「The use of the word “quiet” in the emergency department is not associated with patient volume: A randomized controlled trial」(PMID: 35339973)という医学論文が「The American Journal of Emergency Medicine」に掲載されています。Google翻訳でタイトルを訳すと、
「救急科での『静かな』という言葉の使用は、患者数とは関係ありません:ランダム化比較試験」
ですね。前掲の日本人研究者の論文と非常に似通っている論文ですが、日本発の論文は2016年12月9日に掲載されたものであり、米国発のこの論文は2022年3月16日であり、日本人研究者の論文にインスパイアされたものであると大人の判断をしておきます(追試あるいは再検証したとの言い回しもあるかもね)。
この論文の結論も、
「今日は暇だね」と口にしても、その後の多忙・閑散とは関係なかったよ
です・・・当たり前だけどね。
人はなぜランダムなパターンに規則性を見出す努力をするのだろう?
子ども電話相談室で、失くしものをするとすぐに泣いちゃうとの悩みを訴える幼子がいました。相談を受けた専門家は「泣いたって失くしたものは出てこないでしょう」と話すと、その子は、「出てくる・・・」と答えて専門家一同沈黙という場面が記憶にあります。
泣けば失くしたものが出てくるのか?これを研究するにあたっては「泣きながら捜索する」「泣いて捜索する」の二つのグループに最低限分けてから検証する必要があります。
そもそも、人はなぜ「たまたま」が次も続くと考えて、ランダムな現象であるにも関わらず規則性を見出そうとしてしまうのでしょうか?
ツキは科学的に証明できるのでしょうか?逆に悪い予感って当たるのでしょうか?
日常でも体調の不調を感じたときに、たまたまテレビの健康番組で流れていたテキトーな健康法を試したところ、体調が回復したように感じることは多くの方が体験していると思われます。しかし、下記の図のように考えてみてください。
一時的に体調あるいは病状が良くなったとしても、長いスパンで見た場合に回復しているのか?逆に悪化しているのかが重要になってきます。
多くのトンデモ系ニセ医学は、たまたまヘンテコな健康法によって病状が回復したデータだけを拾い集めているものがほとんどであり、最終的には悪化してしまうのです。
確率論とか統計学的な処理とか、難しい言葉や用語を使わなくたって身の回りには「思い込み」「たまたま」「偶然」が大量に存在していることを意識するだけで、第三者が体験した「たまたま」にあなたの人生を賭ける必然性はないことをご理解いただければ幸いにぞんじます。