日本でマスクといえば口周りを覆うものが一般的です。テレビや映画では昔の忍者とかは身元がバレないように目の周りは丸出しのマスクというか覆面を使用していましたよね。
一方の西洋で顔を隠すために使用されているのは、主に目元を隠すマスクの中でもアイマスクと呼ばれているものだと考えられます。
教育の現場や保育の現場でのマスク姿が一般的になりつつある状況が長く続いています。果たしてマスク着用は子どもの発達障害などの弊害があり得るのかについて医学的民俗学的な考察を試みてみます。
本記事の内容
脳内で顔を認識する仕組みは思ったよりデリケートです
脳の右半球の海馬が損傷されると顔が認識できない「相貌失認」になることが知られています。脳内では「顔」として認識するために激しい情報処理がなされていて、例えば「サッチャー錯視」と呼ばれる実験・実証が有名です。
「Thatcher’s children: development and the Thatcher illusion」(PMID: 14992420)などによれば、顔を認識して、さらに個別認識するためには目・鼻・口などの配置だけではなく、パーツごとの特徴を捉えて識別していることが予想される結果になっています。顔が上下逆転するとパーツの配置に関しては脳は細かく情報を処理しないため、パーツの特徴を捉えて個別を識別することは難しくなるのです。
以上よりあるべき場所にあるべきパーツが存在していることによって、個別認識が可能になっていると解釈できます。
となると、個別認識をするために進化してきた人類の脳は口だけが隠された状況では個別認識機能が十分に働かない可能性が出てきてしまいますよね。
そうなるとマスクで口元を覆うことは、個別認識に対しては障害となるとの結論に至ることも可能なので、子どもの発達に関してなんらかの影響はありうると考えられます。
赤ちゃんは「顔」と認識するためにはどこを見ているのか?
赤ちゃんにアルチンボルドの有名な野菜で構成された顔を見せてどのような反応をするのかの実験を日本人研究者が行なっています。
中央大学文学部の山口真美教授は「顔パターン認識の特殊性その成立過程」(映像情報メディア学科誌 58 巻 (2004) 12 号)で赤ちゃんにアルチンボルドのだまし絵を見せたところ、生後7−8ヵ月だとだまし絵を顔と認識している可能性があることを指摘しています。一方で普段はメガネをかけているお母さんがメガネを外したり、髪型を変えてしまった場合に泣き出してしまうことも記載しており、大人とは違った判断基準で顔を認識しさらに個別認識している可能性があることも述べています。
山口教授はさらに「社会性の障害」に関しても研究を行なっているようですが、世の中がマスクを常用するような状況下でどのように子どもの発達に影響があるのかの研究については行なっていないのか、私は見つけることができませんでした。
赤ちゃんに対して常にマスク姿で接することは、将来的になんらかの影響があることは大いに予想されると考えられますね。
マスクの顔を隠す機能は人種・民族・社会的影響を受けた可能性があるかも?
仮面舞踏会(masquerade)、マスカレードなるパーティーが西欧ではあることは映画などで皆さんもご存知だと思います。私の個人的な解釈では身分を問わないでパーティーにかこつけてナンパをする行事なのですが、ナンパをするときの判断基準として容姿、特に「顔」が重要になってくるのでは無いでしょうか(この辺り非常に攻撃というか非難・批判されそうだけど昭和生まれのおじさんなのでお許しを)。
目元を隠すのが西洋のマスク、でも顔は確認したいと当時のおじさんたちも考えたはずです。そうなると、目の周りにマスクをしても対象となる人物が自分の好みであるかはある程度の予想をつけてナンパするはず。
ってことは目元は対して容貌には影響していない可能性も出てきちゃうのですが、当時も「目力」的なものもあったでしょうし、日本ではあまり使われないけどアイコンタクトとか、「Eyes are as big as mouth」「The eyes are the windows to the soul」なんて諺や言い回しもあるので日本人とはちょっと違った判断基準が目に置かれていた可能性もあります。
おまけ:そういえば日本でも「目は口ほどにものを言う」って言い回しがあるけど、この原典はなんだろう???
日本では古来よりある身分を明かさないため方法では顔は丸出しじゃん!!
昭和の時代は子ども向けの忍者もののテレビ番組があり、それを見ていた可愛げのない私は「これじゃ顔丸出しでバレバレじゃん」と常に感じていました。
一方でテレビでバットマンもやっていて、バットマンは身元を隠すのに使用しているのやアイマスク、グリーンホーネットもアイマスクでしたね。
ひょっとして、人種や民族や社会的背景によって人を認識するポイントが違っているのでしょうか?多分、そんなことはあり得ないような気もします。
やっとこ本題に入ります
論客と呼ばれる方のこのようなツイートを見かけました。
https://twitter.com/lullymiura/status/1534002617994555398
マスクが子どもの発達になんらかの影響があることに関して医学的に判断するには今現在出回っている「※個人の感想意見です」的なものでは説得力がありません。
- 発達に影響あるいは発達障害の判定基準を設ける
- マスクをしているグループとマスクをしていないグループに分ける
- 発達に対しての影響を短期で評価するのか、長期に渡って調査するのか
- できれば主観ではなく、客観的に判断するために第三者の検証に耐えうるデータを集積する
- 統計学的に処理をするためにそれなりのサンプルサイズを必要とする
などの多くの条件を揃える必要があります。
三浦氏のツイートに対して、上松正和医師はこのようなツイートをしています。
上松医師って参議院選挙に立候補するんですね。ゆえにこんな返しを食らっていました。
どんな政策を打ち出す政党に、自分の票を入れたいかという発信の自由まで牽制しようとなさるとは、さすが立候補されるだけあって言論の自由と民主主義に対するご理解が深いようですね。さぞかし日夜行脚して、保育園や小学生等に調査をしているんでしょう。報告が上がってこないというからには。
https://twitter.com/lullymiura/status/1534398203398721536
そもそも影響に対する報告、もちろん感情論やn=1ではない報告って存在しているのでしょうか?なてことも考えてしまいましたけどね。
マスクをしないリスクVSマスクをするリスク・・・どっちがどうなのかさらに、なるべくお二人には巻き込まれないようにしながら考察を継続したいと存じます。