私は泌尿器科医なんですが、病名なのか病態なのか、あるいは素人用語なのか、「膀胱カタル」という名称が気になってしまっています。
そういえば昔々のカルテで「胃カタル」という医学用語を見かけたことがあります。「カタル」ってなんじゃ?
本記事の内容
「カタル」は英語では「catarrh」と書くらしい
医師をやっていて使うべきではない言葉として、「絶対」と「らしい」があります。「医師免許を持ったら絶対は絶対つかってはいけない」と研修医時代に先輩医師に言われました。人間のからだについて全てがわかっているわけではないので、「絶対」は使ってはいけないのです。
先日から、「カタル」という言葉が気になってしまっています。昔々の医学専門誌を読んでいたら、「膀胱カタル」なる言葉が書かれていました。
膀胱カタルってどんな病気なの?
と、感じつつ、そういえば昭和初期に書かれた小説などで「胃カタル」との言葉を見かけたこともありますし、私自身が田舎の町医者であった祖父に子どものころ、「腸カタル」って言われた記憶がよみがえって来ました。
昔はあったけど、現在は無くなってしまった、「膀胱カタル」ってどんな病気なんでしょうか?
そもそも「カタル」とは粘膜が炎症状態になっているもの?
「カタル」について前日本医史学会理事長であり順天堂大学名誉教授でもある酒井シヅ先生の記事をネット上で見つけました。
カタルの語源をたどると、古代ローマ時代のガレノスの体液説にいたる。カタルのことばの意味は「流れ落ちる」である。体内で造られた液体が溢れることをカタルと呼んだ。
https://www.hjs-kenpo.jp/cgi-bin/topics3/index.cgi?num=20100310000204
古代ローマ時代!?ガレノス〜!!??この時代って日本でいえば卑弥呼の時代じゃん!!なんてことを考えつつ体液説ってヒポクラテスなどが考えていた人体の構造に基づいた、「とにかく何でもかんでも根源を見つけようね」と古代ギリシャの哲学者たちが思考を繰り返し、それが現在の科学につながった道筋であることを前提としても、少なくとも
なんで現代医学において「カタル」なんて用語が使われているの?
と、思いつつ医学史の大家である酒井シヅ先生の記事は唐突に、
気管支カタル、鼻カタル、胃カタルなど患部にカタルがついた病名が多かった。
https://www.hjs-kenpo.jp/cgi-bin/topics3/index.cgi?num=20100310000204
ではじまる記事の気持ちの悪さと共に「カタル」の謎は深まってしまいます。
「カタル」が「catarrh」であることにやっとたどり着いた
「膀胱カタル」という謎のワードから始まって、カタルという病名なのか病状なのか明確ではないざっくりした病態は酒井先生の記事(「不許複製」って文末に書かれているけど引用は大丈夫だよね?)で把握できた一方でカタルはそもそもどこから出てきた用語なのかと謎は深まりました。
酒井先生の記事中で「Conrad Victor Schneider」というドイツの解剖学者の名前が出てきたので、その名前で検索したところSchneider先生が「De catarrhis」という本との記載があり「カタル」は「catarrhis」と英語で書くことにやっとたどり着きました。
ギリシャ語の「水性分泌物」が語源である「カタル」
カタルは英語で「catarrh」と書くことまではたどり着きました。医学の源流はギリシャでありカタルの言い出しっぺはガレノスなんですから、ラテン語で「catarrh」を表記したものがあるはず。
語源をいくつかのウェブサイトで調べてみたところ中世ラテン語では「catarrus」、後期ラテン語では「catarrhus」と表記していたとのこと(参考:https://www.etymonline.com/word/catarrhなど)。
「cata」が「下へ」、「sreu」が「流れる」という意味があるのです。「catarrus」で「下へ流れる」ということですね(「s」はどこへ行った?との疑問はここでは省略ね)。
ラテン語の「catarrus」および「「catarrhus」がドイツ語表記の「katarrh」、英語の表記の「catarrh」になって日本語の「カタル」になったことが理解できました。
※語源の詳細については専門家の異論・反論およびマウントはあるかとは思われます。そういえば私の出身大学の解剖学はなぜかラテン語でした。ラテン魏なんて死んだ言語じゃんと言いながらつらいつらい解剖学の授業を2年というか2回というかシーズン2に渡って勉強したことを思い出しました。いまさらながらラテン語の重要さを思い知っている今日このごろです。
英語で膀胱は「bladder」となると膀胱カタルは「bladder catarrh」?
現代の医学はぜーんぶ英語が基本中の基本。そうなると「膀胱カタル」は当然「bladder catarrh」となるはず。そこでbladder catarrhで英語の医学論文を探してみるとBritish Medical Journal(BMJ) に掲載された論文がありました。
さらに「The New England Journal of Medicine」(NEJM)ではこんな感じ。
と、いつもと様子がおかしな論文が見つかったのです。これらの論文が書かれたのはBMJが1842年と江戸時代であり、NEJMでは1865年と幕末。
膀胱カタルは江戸時代に使われていた医学用語なんです
との結論にどうにか古代ギリシャから無事にたどり着きました。
素直に膀胱カタルで検索してみると、こんな結果に(笑)
話はもとに戻ります。私がカタルという言葉が気になったのは「膀胱カタル」がそもそもの話でした。素直に「膀胱カタル」というワードで検索をすればこんな回りくどい話にならないで済んだようです。なぜなら「膀胱カタル」について八味地黄丸という漢方薬の添付文書には単純明快なるお答えが記載されています。
「膀胱カタル」とは、膀胱炎のことです。
ハチミジオウ錠 添付文書
あのさあ、膀胱炎って細菌等が原因となった感染症なんだけど、カタルの意味は「下に流れる」なんだけどなあ。なんで膀胱炎が鼻水の用例にしたがって「膀胱カタル」になっちゃたんだろうと謎はさらに深まってしまいました。
今度、膀胱炎の患者さんに、「膀胱カタルです」って診断してみようかな、でも保険診療の場合は必ず傷病名を記載することになっているので、社会保険診療報酬支払基金にレセプト切られること必至で当院の売上減少に直結するのでござる。